高さは27メートル、この年の春の完成した本願寺西別院を超えないように1メートル低くしたそうです。
道東初のエレベーターを設置し、屋上から街並みを見下ろせるなど大評判で、大勢のお客様が押し寄せました。このエレベーターは蛇腹式の扉で、動き出すと各階の床が上下するのが見えます。エレベーターガールが手動式ハンドルで調節しますが、所定の位置に止めるのが難しかったそうです。(下写真のようなエレベーター)

初めての乗り物なので、靴を脱いだり、「失礼します」とか「お邪魔します」といって入る人もいました。
昭和6年、屋上に小動物園を開き、小熊や猿、ウサギなどを飼育し、子供や小中学生を始め一般のお客様にも大変な人気を集めました。また、大ホールでは絵画展、書道展、生花展など各種の行事を開催し、物を売るだけではなく「十勝・帯広の文化の発信地」として大きく貢献しました。
昭和23年頃、雨漏りがひどくなり、屋上を廃止し屋根をかけることになります。

私は昭和23年生まれの団塊の世代で、記憶にあるのはこの頃の建物です。
帯広生まれの清水町育ち、広小路に祖父母が呉服屋を営んでおり、小さい頃からよく帯広へ遊びに来ていて、祖父を連れて藤丸へいくのが楽しみでした。
地方に住んでいる人々にとって、帯広はあこがれの街、藤丸は「ハレの場」でありました。
昭和34年10月、西2条10丁目に「かじのビル」が完成し、帯広一高い建物の座を譲り渡します。


この写真は、昭和34年11月にかじのビル屋上から藤丸方向を撮したもので、貴重なカラー写真です。近くでコサカ美容室を経営されていた「小坂俊昌さん」が趣味で写真を撮っていて、当時出たばかりのスライドフィルムで撮影しました。