

この広告塔は先端が灯台のようになっていて、帯広の夜空に光を振りまいていた。昭和34年完成の「かじのビル」屋上には日立のネオン塔が設置されていて、この2つの広告塔は夜の帯広のシンボルになっていた。

昭和30年代後半から、十勝にもスーパーマーケットが相次いで出現し、食料品や家庭用品がセルフサービスの売場で購入する消費構造に変化していく。
そして、昭和43年7月1日西2条南8丁目の旧店舗を改装し、道内最大のスーパー「ふじともストアー」をオープンする。

昭和44年1月16日、金市館帯広店から出火し、隣の三井金物店など4棟が全焼。この火災により藤丸増築問題が持ち上がる。この頃次々と出回る新しい商品などのために売り場の面積が足りなくなり、隣接の三井金物店が1階に入居するという条件で増築計画がまとまり、同年3月着工。
従来3階までのエスカレーターを6階まで増設し同年11月18日、リフレッシュオープンとなる。

火災の後、金市館は4階建ての新店舗を建設。地元大手の「有沢呉服店」が西1条南9丁目の農協連ビルを改装し広小路から移転オープン。また、地下1階、地上7階のサニーデパート(現坂本ビル)が衣料専門店などをテナントにしてオープンするなど、帯広の商店街に急速に大型店舗化時代がやってきた。