昭和45年(1970)9月、西2条南9丁目の中心部を占めていた夷石チェーンのキネマ館、帯広大映、ラーメンの三平など5店舗を取り壊し、地下1階・地上7階の「いせきビル」が建設され、当時量販店トップクラスの「長崎屋」が進出、オープンする。
地元の業界はかなりの影響が出るものと予想したが、多様な消費者ニーズに応えることで購買力が増え、商店街の店舗改装や近代化への気運が高まりプラスに作用する面もあった。
そして、昭和48年9月下旬、空き地となっていた西3条南9丁目の裁判所跡地は高度利用計画が策定され、バスターミナル併設の立体公共駐車場、経済センタービルの建設が決まり、一般公売部分の複合ビル建設地は入札の結果、セントラルボウルが落札し、キーテナントとして大手スーパー「イトーヨーカドー」の帯広進出が決定する。
昭和50年(1975)4月26日、地下1階・地上7階、延べ面積2万9千uのショッピングセンター「イトーヨーカードー帯広店」がオープンし、管外大手スーパー進出の幕開けとなる。
この後、昭和54年(1979)5月30日、郊外型の大型商業施設として、西5条南20丁目に「ニチイ帯広店」がオープンし、商業施設が郊外へと延びていく。