子供の頃よく見たのは時代劇が中心で、「笛吹童子」、「紅孔雀」、「百面童子」など第1部、第2部と続き物が多く、中村錦之介、東千代之介、高千穂ちづる、脇役に月形龍之介、吉田義夫などが出演していました。
また、「鞍馬天狗」では嵐寛寿郎、「怪傑黒頭巾」の大友柳太朗、「遠山の金さん」「七つの顔」の片岡千恵蔵、「旗本退屈男」の市川右太衛門、「新吾十番勝負」の大川橋蔵など時代劇俳優が一番活躍していた時代です。
すべてモノクロ映画で、清水町などの地方映画館には封切りされてしばらく後にやってくるので、雨降りのような傷ついたフィルムで切れたりや上映中にフィルムが燃えることもあり、時々中断することもありました。
子供にとってはとてもワクワクする映画ばかりで、主役が後ろから刀で切られそうになると、皆一斉に「危ない!」の声がかかります。とても懐かしい時代です。
その後、中学・高校生になると映画はもっぱら帯広へ。
帯広では「日劇」で洋画を中心に見ていました。この頃になるとモノクロ映画からカラー映画に変わってきます。今ではもう聞かれませんが、当時は「総天然色」映画といっていました。
上映スクリーンも次第に大きくなり、70ミリ映画(縦横比2.22対1)やシネマスコープ(縦横比2.35対1)のような横長の映画で迫力のある画面が主流になります。
最初はスタンダードサイズの「ニュース映画」が上映されますが、本編になるとスクリーンのカーテンが開けられ広がります。
入場者の収容数も今のシネコンよりはずっと多いような気がします。
1966年(昭和41年)に大学に入学し、東京へ。
新宿歌舞伎町のコマ劇場周辺の映画街によく行きましたが、その規模の大きさには驚きました。特に「ミラノ座」にはビックリ!1000人以上が一度に見られます。スクリーンも今までの倍くらいの大きさ。


(新宿ミラノ座HP)
ネットで調べると現在は1288席もあり、縦8.85メートル、横20.2メートルでバレーボールコートに匹敵する大きさです。
これが映画だ!と感動したことを覚えています。
さらに驚いたのは、東京銀座にあった「テアトル東京」です。

写真は「ありし日のテアトル東京(BIGSTONEさんのブログ)から」。館内の写真や詳しい説明が掲載されています。
スーパーシネラマという新しい方式の映画館で、3台の映写機を使用し、湾曲したスクリーンに映し出します。座席は見やすいようにリクライニングになっていました。
最初に見たのは「2001年宇宙の旅」です。その後にスティーブ・マックイーンの「グランプリ」を見ましたがスクリーンの大きさだけではなく、4CHのサウンドもすごいの一言。
1981年(昭和56年)「天国の門」を最後に閉館し、その数日後に火災に遭い残念ながら焼失したそうです。
映画はテレビやビデオ・DVDレンタルなどに押されて観客数が減少。映画館は徐々に閉館が増えてきます。
そして、今はシネコンの時代に!
昔の大画面を覚えている世代にとっては、少し迫力に欠けるかな?